2006年12月

奈良まちおこし 結び会

 12月2日、3日に奈良県桜井市にある大神(おおみわ)神社近くでで行われた「奈良まちおこし結び会」に大門醤油醸造さんとご一緒して、「古代比之保」「奈良ひしおみそ」を展示させて頂きました。

結び会←展示したブースはいい雰囲気を出していました☆








 

古代「ひしお」古代「比之保」です。











奈良ひしおみそ奈良ひしおみそです。











 奈良県は2010年に平城京が遷都されて1300年という節目の年を迎えます。その2010年にむけていろいろと県内で取り組みが行われています。当日も奈良に関心のある方々が多く来られており、両ひしおを興味深くみて、そして、味わって頂いたりもしてもらえました。
 比之保という奈良とのかかわりが深いであろう食と歴史から奈良と私とのつながりを感じることができたらうれしいですね☆

古代「ひしお」

 醤油の起源には諸説ありますが、大陸に於いても国内に於いても人々は食物を塩に漬けて保存するうち、発酵・熟成して旨みを持つことを体験的に知りました。それが発酵食品である醤油のルーツ(ひしお)です。
 そのなかでも穀物を原料とした「穀醤(こくひしお)」が最初にあらわれるのは、紀元6世紀前後に書かれたとされ現存する世界最古の農業技術書『斉民要術(さいみんようじゅつ)』です。その中に黒大豆に麹を加えてつくる方法が記録されています。
 
 仏教が伝来(538年)し、僧によって「穀醤」は渡来したとも考えられます。仏教の殺生を禁じる風習が広まるに連れて、菜食に絶好の味付けとし発展していったのではないでしょうか。また大規模な土木事業(応仁陵・寺院建立)に貴重不可欠な塩分の摂取法として用いられたとも推測されます。
 万葉集には、「醤酢(ひしほず)に蒜搗(ひるつ)き合てて鯛願ふ吾にな見せそ水葱(なぎ)の羮(あつもの)」という詠歌があり、また天武天皇の時代(686年)、但馬国の正税帳に「醤」を納めたと記載されたものが残っています。『大宝律令』(701年)によると、醤院(ひしおつかさ)という制度があり、わが国で初めて「醤」という文字が記述されたのです。

 すなわち奈良時代には「ひしお」はひろく用いられていたと考えられます。
平安時代に入り醍醐天皇の第4皇女勤子内親王の求めで編集された『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(935年)という日本最古の漢和辞典に『比之保(ひしお)』と和名が書かれるまでに広く伝播していき、鎌倉時代から室町時代に入り食文化の変化と共に液体とになっていくと考えられるまで『比之保』の文化が長く続きました。

  
古代「比之保」←上記の古代「ひしお」を『なら食』研究会は試醸しました☆


奈良ひしおみそ

 奈良ひしおみそは、奈良県の竹内(たけのうち)あたり一帯は昔から、水に癖がなく水量に恵まれ温暖な峠の里で、この地で栽培されていた裸麦の丸麦と黒豆と塩と豊富な水とで、おかいさん(おかゆ)やご飯にも良く合う「ひしお味噌」を作っていました。

奈良ひしおみそ←上記の奈良ひしおみそを『なら食』研究会が作りました☆
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