食識

甘葛煎

 本日は、奈良女子大学大学院の文化史総合演習の授業成果報告会として行われました古代の甘味料「甘葛煎」の復元にお呼ばれして奈良女子大学にお伺い致しました。

 甘葛煎は、元来、砂糖や蜂蜜といった甘味料生産の技術を持たなかった日本独自の甘味料で、5世紀から6世紀頃に日本各地に普及し製造されたものといわれています。738年の正倉院文書・天平十年駿河国正税帳には、「味葛煎弐斗納缶弐口、口別一斗」と記載されており、国内で生産されていたことがわかる古代の甘味料です。
 その古代の甘味料を奈良の地で、甘葛研究の第一人者であります小倉野草研究会会長の石橋顕先生のご指導のもと行われました。


Image6163←原料は、アマズラ(つる草の一種)で木から採取します。








Image6172←しっかりと木に巻きついているので木から引き離すのに苦労します。








Image6199←引き離した先端から、甘葛煎の原料のしずくが出てきます。










Image6200←たくさん採取しました。









Image6226←採取したツルに空気を送り込んで、樹液を取り出しこします。この作業は、自転車の空気入れを使って行いましたが、天平の時代は人が直接息を吹き込んで行っており、かなりの重労働です。




 そうして採取した樹液を煮詰めて甘葛煎になるのですが、このお味のなんと素晴らしいこと。その味は清冽にしてさわやか、純粋な甘味を感じたと思ったら、すっと潔く消えていきます。日本の食文化の底力を奈良の地で改めて再確認させて頂きました。
 石橋先生、奈良女子大学の関係者皆様のおかげでとても貴重な体験をさせて頂きました。ありがとうございます。

『なら食』研究会研究活動−宇陀の黒大豆−

 本日は、奈良県宇陀市に訪れ、黒大豆の研究視察を行いました。
 はじめに、JAならけん宇陀経済センターにお伺いして、宇陀地区の黒大豆小豆生産部会の会長の方とお話をして宇陀の黒大豆の生産、加工、流通、消費の状況をいろいろとお聞きしました。

Image2014←その後は、黒大豆を生産している現場に案内して頂きました☆









 宇陀の黒大豆を通じて、とてもよい時間を共に過ごさせて頂きました。
 またいろいろな形で皆様に情報を発信していく機会が今後あると思いますので、お楽しみに☆

『なら食』研究会研究活動−吉野町 しいたけ−

 本日は、奈良県吉野郡吉野町に訪れ、原木しいたけの栽培の研究視察を行いました。

Image799←杉の下にあるのが…












Image798←ナラやクヌギの木をつかった椎茸栽培の原木です☆









Image802←こちらは室内で管理して栽培している椎茸です☆














Image805←元気に育っています☆











 今回、お伺いさせて頂いた生産者の方々から、いろいろと椎茸に関するお話を快く聞かせて頂きました。普段の生活でなかなか奈良県産の椎茸というのを目にする事は少ないですが、こうして奈良県産の椎茸を栽培している生産者の方々が奈良にはおられます☆
 こうした奈良の食を知り、ひとつひとつ奈良県の方々をはじめとしていろいろな方々に奈良の食を知れる機会を、当会の奈良の『食』発見ツアー等を通じて創り上げて行きたいと思います☆


【付記】
※原木しいたけ
ナラ、クヌギ、クリの木などに椎茸菌を植えて、栽培したしいたけの総称

※菌床しいたけ
おがくず、麦の皮、米糠等を混ぜ合わせて固めて椎茸の菌を植えたもの。

 椎茸は、主に上記2種類の方法で栽培されています。

『なら食』研究会研究活動−野迫川村 わさび田−

 本日は、野迫川村北股にある野迫川村林業研究会に足を運び、奈良で数少ないわさびの栽培について、いろいろとお話をお伺いしました。



Image633←野迫川村林業研究会の事務所です☆








 事務所内で野迫川村でわさび栽培が行われた経緯や現在行われている取組みなどについていろいろとお話をお伺い致しました。その後、実際にわさびを栽培しているわさび田にご案内して頂きました。

Image626←深遠たる山々の中にわさび田があります。












Image630←とっても豊かな水量で水音がいっぱいにひろがっています☆










Image614←豊かで清冽な水の中に、わさびが凛として立っていました☆










Image616←こちらは植えてから一年経ったわさび田です。来年に収穫を迎えます。








Image617←ご好意で一本ぬいて頂いてみせて頂きました(そして、後で頂きました☆)。まだまだかわいいわさびの根で、これからすくすくと野迫川の山々の水の空気の中で育っていきます。









 とてもよい『なら食』研究会の研究調査・視察をさせて頂きました。またこれからの『なら食』研究会の活動に活かさせて頂きます☆
 野迫川村林業研究会の皆様、ありがとうございました☆

『なら食』研究会研究活動 

本日は、『なら食』研究会で奈良県三輪素麺工業協同組合に足を運び、三輪素麺についてのお話をいろいろとお伺いさせて頂きました☆

Image807←奈良県三輪素麺工業協同組合です☆JR三輪駅から徒歩3分ほどのところに構えておられます。









 お忙しいところ奈良県三輪素麺工業協同組合の理事長さんにいろいろとお話を伺うことができました。お話を聞かせていただく中で、三輪素麺のいいところを会として発信していければという思いを抱かせてもらい、会の活動への励みを頂きました。
 
 特に、三輪素麺の特徴として、その柔らかな細さと繊細な中にもある「コシ」について理事長からお話を伺いました。素麺でコシを上手に引き出すには、熟達された製法に潜む作り手の勘と経験が重要になってきます。水・塩・天候の加減と様々なことを感じるきめ細かいあたたかさが、寒い時期に作る三輪素麺に息づいていることを学ばせて頂きました。

 また、素麺は新物、ヒネ物と表現されるように、熟成度合いによって食べ方や味が異なってきます。いろいろなシチュエーションにあわせて、繊細な三輪素麺の味と作り手の心意気を今後発信していければと思っております☆


『しょうゆ』のあれこれ

 
<原料に脱脂加工大豆と大豆が書いてあります。どこが違うのでしょうか> 

 第2次世界大戦の前後より、大豆の中に含まれる約20%の油脂分をあらかじめ取り除く「脱脂加工大豆」を使うようになりました。しかし丸の大豆を使った醤油に比べ、コクとまろやかさはなくなったのです。

 「脱脂加工大豆」は安全であるとは云われていますが、油脂分をあらかじめ取り除く際、ヘキ酸を使うことへの不安があります。
 丸大豆に含まれる油脂分は醸造中にグリセリンに変わり、このグリセリンが上品な甘味をつくり、醤油の味にまろやかさを与えます。そこで昨今は消費者のニーズに応えるため、丸大豆のみを使った「丸大豆しょうゆ」が作られています。

 醤油に使われる大豆は「脱脂加工大豆」として15万5千t (丸大豆に換算すると19万2千t) 「丸大豆」として3万2千t 合計22万4千tとなります。このうち国産の丸大豆はわずかに500tで醤油に使われる大豆全体の0.2%にしかすぎません。国産大豆の収穫量が年間23万tと余りにも少ないのです。大豆の収穫量が増えるよう 消費者も声を上げ、、丸大豆のみを使った「丸大豆しょうゆ」がもっと手軽に入手できるようにしたいものです。

 <ラベル表示を確認しましょう> 
 国産大豆を使用した場合、一括表示欄に「大豆(国産100%)」などと表示することになっています。国産大豆100%使用の場合は%表示は省略することができます。
醤油には、遺伝子組換え原料の表示義務はありません。
 つまり遺伝子組換えかどうかは任意なのです。ただし国産の大豆は遺伝子組換えは認められておりません。

<醤油・お茶の「おいしい」保存の仕方>

* 醤油は時間がたつとともに色が濃くなり、風味も落ちてきます。
 保存においては、直射日光を避け、なるべく涼しいところに置くなど注意が必要です。
 開栓後は空気に触れることで酸化が進むため、家庭で保存する場合には、冷蔵庫にしまうのが最適です。
 冷蔵庫に保管してある容器から、使いきるぶんだけ小型の容器に移し替えて使用し、規定の賞味期限内に食べきったほうがよいでしょう。  
 
 基本的に長期保存しても酸敗・腐敗しにくいものですが、保存法に気をつけた上で、一ヵ月くらいで使い切るのが理想的です。
                     (「しょうゆおいしいはなし」より抜粋)                                                                         


* お茶は湿度・温度・酸化・光により変質します。
 30℃以上になると変質が大きいので冷蔵庫に入れておくのが望ましいですが、冷蔵庫の移り香には気をつけ、
 常温に戻してから開封してください☆      

「Soy sauce(ソイ ソース)」

 現在、英語では醤油を「Soy sauce(ソイ ソース)」と呼ばれています。この呼び方に限らず世界各国いろいろな呼び方をされています。日本のしょうゆは、江戸時代1700年代オランダを経由してヨーロッパ各地に輸出されました。日本語の音が変化して生まれたものだそうです。

先達、WBCで日本が優勝したとき、ベースボールが野球に変わったと新聞に書かれたのを見て、日本が日本の食を語るとき無くてはならない醤油をソイソースなどと呼ばれているのは、如何なものでしょうね。昨今和食ブーム、又ヘルシー食として和食が注目されているなかで、今一度世界に向けて「しょうゆ」・「醤油」・「syouyu」と呼んで!と叫びたいものです。

 海外で生活している人に聞いた時のことですが、こんなところに醤油はないだろうと思える国や地域で、赤い帽子(キャップ)のキッコーマンの醤油を見たとき嬉しくなったとか。又、海外(後進国)で醤油を見つけたので、嬉しくなって購入したらドロッとしていたとか。でも醤油の味がして日本食をなつかしく思い出しその醤油を食べていたそうですよ。

「食」から見た「お水取り」

 実忠和尚が始めた752年を第1回とすれば今年は1255回目にあたる「お水取り」です。二月堂の焼失や戦時中も続けられていました。境内(二月堂)の井戸(若狭井)から水を汲んで本尊に供える行法から「お水取り」と呼ばれ(正しくは「修二会」と言います。)新暦3月1日から14日まで行われます。昔から奈良に春を呼ぶ行事として広く知られており、二月堂で何が行われているか知らない人でも「お水取りがすむまで、本当の春は来ない」と言うぐらいで、この日を境に暖かくなるという目安にしている人も多いはずです。 

 大きな松明(たいまつ)が二月堂の欄干で振られる「おたいまつ」はテレビ等でご覧になった方も多いと思いますが、今回『なら食』研究会はあまり報道されていない「食」から見た「お水取り」をお伝えすることで、もっと身近に感じて貰えたらと思っています。この時期は、須弥壇を飾る名椿「糊こぼし」という造花をかたどった春の菓子が売り出されます。これからも大事に守って行きたいもののひとつです。
 「お水取り絵巻」を、目を凝らして見ていると、見物の人々が集まる中に、それを当て込んだ飴売りや煎餅売り・担い茶屋・獅子舞・酒盛りで賑わう様子が描かれていて、一般の見物衆に印象深い情景のみを選んで簡略化して描いてあるのです。ここに民衆の「生活」を生き生きと見て取る事ができます。

 修二会に参籠する僧侶を練行衆と呼びますが、その練行衆の「食」についてお話しましょう。
 二月堂の登廊を下ったところに食堂(じきどう)があります。修二会の期間中、一日一回だけ昼にその日の最後の食事をとるのですが、1812年の練行衆日記には、1日と8日は平(ゆば、ごぼう、松茸、粟、水菜)・汁(干し大根、豆腐)・香の物(から漬け、粕漬け)・茶碗(こんにゃく、細がき)・指身(人参、大根、岩茸)、2日と9日は平(ひりょうず、ぜんまい、長いも)・汁(干し大根、わかめ)・香の物・茶碗(氷豆腐、人参、麩)・指身(菜の辛子あえ)と記されています。1815年の二月堂修中献立控には汁(豆腐、かぶら)・味噌汁(人参、山芋)・煮物(ゆば、ごぼう、粟、水菜)・煮物(ごぼう、しいたけ、梅干、みつば等)・おしたし(ヨメナ)・白和え・漬物(大根と瓜)等が記されていて、これら献立を見ていると料理に発酵嗜好品(漬物・醤油・みそ・酒等)が使われていることが解ります。なかなか美味しそうではありませんか。
 満行を迎えた15日には、お酒3升も用意されており、末尾には無事満行を迎えた安堵感が伺える表現があるなど、参籠した練行衆のいきいきとした実像が伝わってきます。また東大寺年中行事の修二会に関する記述には、食料や仏前に供える「大供料」を各地荘園の年貢等で賄っていたとあります。

 「食」が世相の変化によって変わっていくなかで、宗教に基づく年中行事はほとんど変ることなく維持されていると思うのです。「お水取り」は仏の教えを「香水」(こうずい)という水にたとえ、神秘的な作法と、霊験に対する深い信仰の歴史で、確かな実感をもって現在まで受け継がれています。わが国を代表する文化遺産といわれる「お水取り」同様、発酵嗜好品は日本の食の基礎であり、食の文化を支えてきたのです。 
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